渡部信一著 大修館書店 1,800円(+税) 2005
アマゾンで購入するその他の採用:共立女子大学国際学部・一般入試・国語(2008) 、十文字学園女子大学・一般入試・国語(2008)、秋田大学教育文化学部・留学生小論文(2009) 、北陸大学未来創造学部・一般入試・国語 (2010)、大阪教育大学・小論文(2010)、京都教育大学・小論文(2010)、北海道教育大学(2012)など
私が脳科学に興味を持って脳損傷の患者さんと日々接していた20年前の数年間は、単純に脳のことが解明されれば人間の知的活動に関する多くのことが解明できると信じていた。しかし、その後再び「自閉症」と呼ばれる子どもたちとつきあうようになって、私の考え方は根本から変わった。結論を言えば、人間は、そして特に子どもたちにとっては、脳に効率よく多くの正しいとされる知識を蓄積しただけでは何も成長しないのである。
このことは、ロボット工学も証明している。1970年代まで「ロボットにさせたいことを、簡単なことから複雑なことへ系統的にひとつひとつプログラムする」という基本方針を持っていたロボット研究者が、「それでは人間に近づかない」と考え出したことを知ったとき、私は目の前が開ける思いがした。それは、1980年代に起こったロボット開発の「行き詰まり」が原因であり、そのあと彼らはパラダイムシフトを経験する。 ロボット開発と全く同じような行き詰まりが、現在、子どもや若者の教育において起こっている。本書ではこの原因を、これまでの教育や「学び」の大原則、つまり「正しい知識を簡単なものから複雑なものへ、ひとつひとつ系統的に積み重ねてゆけば効果的な学習ができる」という基本的な考え方が間違っていたということに帰して検討してきた。
そろそろ教育や「学び」に関して、少し本質的なところから検討し直す時期に来ているのかも知れない。これまでの常識を一旦白紙に戻した上で、あらためて21世紀の高度情報化時代における教育や「学び」を考えなげばならない時期に来ているのだろう。
「おわりに」より