- 1957
- 東北大学医学部付属病院(現:東北大学病院)で生まれる
- 1981
- 東北大学教育学部卒業
- 1983
- 東北大学大学院教育学研究科博士課程前期修了
- 1984
- 国立療養所宮城病院(現:国立病院機構宮城病院)心理言語療法士 - 1988年まで
- 1988
- 福岡教育大学(助手・講師・助教授)附属障害児治療教育センター - 1998年まで
博士(教育学)取得(東北大学 1992)
- 1993
- 豪州・クィーンズランド大学教育学部付属特殊教育センター客員研究員 - 1994年まで
- 1998
- 東北大学教育学部 助教授(人間発達臨床科学講座)-2002年まで
- 2002
- 東北大学大学院教育情報学研究部・教育部(大学院独立研究科)教授 - 2018年3月まで
- 2007
- 東北大学国際高等研究教育機構国際高等融合領域研究所(兼任) - 2012年3月まで
- 2008
- 東北大学大学院教育情報学研究部・教育部 研究部長・教育部長(5期・10年)- 2018年3月まで
- 2018
- 東北大学大学院教育学研究科 教授(組織再編による統合)- 2023年3月まで
- 2018
- 東北大学ヨッタインフォマティクス研究センター(兼任)- 2023年3月まで
- 2023
- 東北大学定年退職
現在
-
東北大学名誉教授
- コミテク研究所 代表
- 東北大学大学院 教育学研究科 非常勤講師
- 裏千家茶道 専任講師
- 御家流香道 尭仙会わかな 事務局長
自己紹介:職場と研究テーマについて
- 26歳:
- 大学院を修了し、心理言語療法士として「リハビリテーション病院」で働き始めました。
「医療現場」という「近代科学」の最前線で働くなかで、本当に様々なことを考えることができました。
病院で4年間働いた後、福岡教育大学に移動しました。
- 30歳:
- 福岡教育大学では「障害児センター」に所属し、自閉症児の臨床とともに特別支援学校の教員を目指す学生さんの指導を10年間おこないました。私の周りの有名な先生方は「マニュアル」にそってきちんと療育をなさっていましたが、私はそれをどうしても受け入れることができず、指導法をいろいろと探っていました。
この間にオーストラリアのクィーンズランド大学教育学部付属特殊教育センターで1年間勉強できたことは、私にとって一生の宝となっています。
- 40歳:
- 母校・東北大学にもどり、私は「インターネットを活用したカウンセリング」のプロジェクト(「ほっとママ」プロジェクト)を任されました。科学技術庁(当時)から莫大な研究資金(うん億円)をいただき、最初の2年間は本当に必死でプロジェクトを進めていました。
- 44歳:
- 幸いなことに「ほっとママ」プロジェクトが成功しマスコミなどで紹介されているとき、私のもとに次のプロジェクトの話が舞い込みました。東北大学が全学あげて実施する「東北大学インターネットスクール」プロジェクトです。結局、このプロジェクトは文部科学省も巻き込むことになり「教育情報学研究部・教育部」という独立大学院の設置となりました。
「インターネットスクール」プロジェクトと平行して、私はモーションキャプチャ・システムを活用し日本の伝統芸能の継承を支援する「伝統芸能デジタル化」プロジェクトを開始しました。
- 50歳:
- 2つのプロジェクトが軌道に乗り始めた頃、私は大学院の「研究部長・教育部長(=研究科長)」に選出されました。
このことにより、私の研究テーマのなかで「大学教育」が大きな割合を占めるようになりました。
結局、「研究部長・教育部長(=研究科長)」を5期(10年)勤めました。
- 60歳:
- 「教育情報学研究部・教育部」が教育学研究科から独立して、16年が経過しました。教育現場におけるICT活用もだいぶ一般的になり、4年前から再び教育学研究科に戻ることを検討してきました。そして2018年4月、「教育情報学研究部・教育部」は教育学研究科のひとつの講座になりました。
- 65歳:
- 東北大学を定年退職しました。
1997年以来主宰してきた「コミュニケーション障害とテクノロジー研究会」を「コミテク研究所」と改名し、あらたに出発しました。
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